東京都議会議員 中小企業診断士 三宅(みやけ)しげき

議長の活動・写真リポート

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「自由民主党 東京都議会議員 三宅しげき事務所」
〒154-0001
東京都世田谷区池尻2-20-12-103
TEL:03-5481-1500

活動報告

12月8日

今年の夏は多くの方々からのご支援と励ましに支えられ、都議会で活躍する場を引き続き頂戴したことを心より感謝申し上げるとともに、秋の国政選挙でも暖かいご支持を賜ったことを合わせ御礼申し上げます。2020年のオリンピック・パラリンピックの大会を前に、最近は何かと注目を集める政策が打ち出されています。そうした中、都民の台所を預かる築地市場の今後の見通しが混沌としていますが、きちんと早期に道筋を示すことこそ政治の重要な役割であると考えています。同時に、世間の関心をひく取組一つひとつが、本当に住民の日々の生活に即した内容であるか見極める必要も増えています。世田谷で暮らし仕事をする皆様が、商店街で安心して買い物や商売ができ、ものづくりや農業にじっくり取組み、充実した福祉を受けることのできるよう、多くのお声に耳を傾け地に足の着いた施策や事業を都議会からしっかりと実現して参る所存ですので、変わらぬご支援をお願い申し上げます。

来年が皆様方にとって実り多く、大きな飛躍の年となることを祈念し年末のご挨拶とさせて頂きます。

  • 平成29年7月1日
    都議選最終日 麻生大臣の応援をうけて
10月4日

平成29年10月2日6期連続当選のお礼に岡崎大樹寺にお参りに行きました。
大樹寺は松平家の菩提寺であり、徳川家康が戦に負け、切腹をしようとしたところを住職に「死ぬのはいつでも出来る」と諭され、天下取りの決意をしたお寺であります。歴代将軍のお位牌、母お代も祀られています。
後援会の名称「三宅しげき太樹会」はこの大樹寺からとりました。平成5年の初挑戦に敗れたあと捲土重来を期し必勝祈願に行き、連続当選しています。

8月10日

平成29年7月20日(木)

東京都では、涼を得るための江戸の知恵である「打ち水」が、東京のおもてなしとして定着することを目指し、平成29年7月20日(木)に都内各所及び都民広場で打ち水を繰り広げるイベント「打ち水日和〜江戸の知恵・東京のおもてなし〜」を行いました。
世田谷でも打ち水のイベントが開催され参加しました。

7月26日

第20回東京都議会議員選挙 得票報告
33,019票

おかげさまで7/23より6期目としての活動が始まりました。多くの方からのご信頼におこたえするべく、引き続きより良い都政・自民党に尽力して参ります。

※公職選挙法により御礼のご挨拶を申し上げることが出来ません。
 どうぞご理解を賜りますようお願い致します。

6月22日

地域密着・身近な都政で5期20年の実績
これまでの仕事・これからの仕事

  • 都営団地・公社団地建替跡地に高齢者・保育・障害者施設・運動公園を整備
  • 都立玉川高校跡地に少年用サッカー・野球グラウンドを整備の他、都立梅ヶ丘病院の跡地と同じく老健施設等総合医療福祉センターの実現
  • 2020年東京オリンピック・パラリンピック
    世田谷区内の施設、道路整備
  • 地域産業(商店街・ものづくり)の振興
  • 小田急線・京王線・東急線の踏切解消実現
6月15日

〜基礎からわかる三宅しげき〜

■スポーツが培ってくれた財産

いま振り返ると、浪人時代の四年間がかけがえのない財産にも思えてくる。そして、私にとって小学校での野球、中学・高校でのバレーボール、大学でのアメフトと、スポーツとくに集団スポーツで培ったものが、いかに大きかったかと思う。肉体、精神力は勿論いろいろな縁もつくってくれた。それが、今になって全て生きている。

都議会議員五期二十年の間、秘書から私についてきてくれた2人の若者は現在、世田谷区議会議員として活躍している。だから、若い人には夢をもって人のために努力することを知ってもらいたいし、税金で頂いた分は次の世代に還元したいと考えている。

六期目の都議会議員として本来のなすべき都政改革に取り組んでゆくつもりだ。

6月6日

〜基礎からわかる三宅しげき〜

■当初は日本新党での出馬も

平成元年、免許を取得していた宅建業の会社を立ち上げた。バブルの追い風もあって経営も順調だったが、平成4年に麻生時代の仲間が、来年、都議選があるから出てみろという。秘書をしていたこともあり、独立後も陳情を受ける機会も多く、出馬を決心した。そこで、麻生太郎氏に相談したところ、次の都議選(平成5年)は日本新党が大ブームになるから、まずそれでバッジをつけろと言われた。

早速、高輪のホテルで細川護熙氏(元首相・当時日本新党代表)と会ったところ、石井紘基氏(元衆院議員・故人)に会えと言う。しかし会ってみると、国旗、国歌をはじめ、国のあり方に対する考えがまったく異なり話が合わない。これでは駄目だということで、自民党でいくことにした。

地盤・看板のない無名の新人にとって自民党の公認をとれたのは奇跡に近かったが、旧小坂派(故小坂徳三郎衆院議員)区議会議員に擁立してもらい立候補した。結果は麻生太郎氏が言ったとおり、日本新党ブームが沸き起こり涙を飲んだ。中小企業診断士の資格は、この浪人中に取得した。

捲土重来の戦いはつらかった。とにかくお金がなくて、昼にアジフライ2枚を半分に分け、妻と弟、秘書の4人でタイ米を炊いてしのいだこともあった。そんな苦労も平成9年の初当選で何とか報われたが、つらい時代に面倒見てくれた方々の恩はいまでも忘れない。

5月31日

〜基礎からわかる三宅しげき〜

■念願の慶大に入学

どうしても慶應に行きたかったのは、幼少時に母の裁縫箱に慶應の金バッジが入っていて「これ何?」と聞いたら、「お前も将来、これをつけられたらうれしい」というようなことを言われ、それが純粋にあこがれになったのだと思う。

慶應でアメフト部に入った私だが、同期のラグビー部にいた武見敬三氏(参議院議員)と出会う。昭和49年の卒業後、私は荏原製作所に就職したのだが、武見氏の姉が麻生太郎氏の弟(麻生泰氏)のところに嫁いだ縁から、5年後に太郎氏が衆院に出る際、福岡に来ないかと誘われた。私自身は麻生セメントに入り、福岡で骨をうずめるつもりで行ったのだが、半年も経たないうちに太郎氏の父、太賀吉氏(吉田茂元総理の娘婿で元衆院議員)が亡くなり、東京に呼び戻されることになる。

そして、「麻生セメント社長秘書」「同会長秘書」「麻生太郎衆院議員秘書」の三枚の名刺を渡されて、運転手に陳情にと走り回る生活が始まった。

  • 慶大では体育会アメフト部に打ち込む
    (66番が私)
  •  
5月23日

〜基礎からわかる三宅しげき〜

■中・高時代はバレーボール一筋

その後、まだ田畑が広がる世田谷祖師谷に引っ越した。当時、北区と二箇所にしかなかった住宅供給公社のいわゆる「下駄履きアパート」の抽選に当たり、母は一階で美容院を続けることができた。この下駄履きアパートの後日談だが、30年近く住み老朽化したので、公社に2階建てを4階建てに建替えてほしいと交渉に行ったところ、担当から「30年も儲けさせてやったのに、この上まだ欲をかくのか」と言われたことがある。私はこれが役人が言うことかと思い、この体験は行政のあるべき姿を考える原点になった。

祖師谷小学校を卒業後、中高一貫の駒場東邦に進学、バレーボール一筋の生活が始まった。監督がやり手だったこともあり、東京オリンピックが開催された中3のときには「東洋の魔女」の大松監督に掛け合って、全日本代表の球拾いをするという貴重な経験もできた。チェコやソ連の練習も見ることができ、超一流の6人制バレーに接したことが、高校のときに都内ベスト4に勝ち進む大きな要因になったと思う。

2020年東京五輪を迎えるにあたり、一人でも多くの子供達が自分の目で身体で、同じような経験に出会えたらと望まずにはいられない。

5月20日

〜基礎からわかる三宅しげき〜

■おいたち

私は昭和25年2月、両国緑町で生まれた。新潟出身の母は小学校を出るとすぐに、両国の緑屋という由緒ある髪結いに丁稚奉公に出されたそうだ。その後伯母と美容院を経営していた母はシベリア抑留から帰国した父と見合い結婚をして私が生まれた。

父は、旧帝国陸軍大佐で獣医をしていた祖父の長男として生まれ、帝国倉庫運輸という海運会社に勤めていた。父は労組の中でも過激派と言われる全国港湾労組の役員となり、私が小学校4年生のときには、毛沢東に招待され中国を訪問した。当時まだ珍しかったジェット機で飛び立つ父を晴れがましい気持ちで送ったものだが、父が持ち帰った豪華な土産や盛大な宴会の写真を見せられて、何かおかしいと感じたのを覚えている。労働者の味方だと言って、いつも「起て、飢えたる者よ」と歌っていた父の姿と現実とのギャップを子どもに心に感じたのだと思う。

3月15日

3/15に駒沢オリンピック公園に新しいレストランがオープンしました。

このたび、「2020年に向けた実行プラン」に基づき、都立公園では初めて、公募で選ばれた事業者が設置運営するレストランがオープンしました。
この店舗は、災害時には、(公財)東京都公園協会が、徒歩帰宅者や地域住民に対し、災害情報の取得支援などを行うために活用します。

内覧会での挨拶(抜粋)

このたび、民間事業者さんのアイデアを生かして、このようなお洒落な外観をもつ店構えで美味しい食事を楽しめることは、公園での楽しみ方の幅が一層広がることとなり、大変喜ばしく思っています。また、レストランのイベントでは、地元世田谷の農家さんが作った新鮮な野菜も使われると聞いており、区内の農産物である『せたがやそだち』も公園を訪れる方に味わっていただける機会もあろうかと思います。さらに、さきほど公園協会理事長からお話があったように、この店舗は地震などの災害時には、地域の皆さんや帰宅者の方を支援する機能も持ち合わせているとのことで、地元としても心強く感じているところです。

1月1日

東京・世田谷の魅力を世界へ

新年あけましておめでとうございます。

皆様にはお健やかに平成29年をお迎えのこととおよろこび申し上げます。

昨年は都議会議員として勤続20年表彰を受け、節目の年となりました。これも皆様が私に「信頼」をよせて頂いたおかげと心より感謝を申し上げます。これからも世田谷区と東京都の架け橋として、一層の努力をして参りたいと考えております。

さて、昨年のリオでのオリンピック・パラリンピックは、日本のメダルラッシュで盛り上がりました。3年後の2020年(平成32年)には、いよいよ、この東京で新しい興奮と感動を世界の人々に提供する貴重な機会がやってきます。私たちの世田谷では馬術の競技が行われ、アメリカの選手団もキャンプのために来訪する等、さまざまな準備が進むにつれて次第に大会を身近に感じることも増えていくものと思います。世界から東京に注目が集まる中、これからは大会成功に向け万全の態勢を整えると共に、外国からのお客様に都内の魅力を伝える観光振興に力を入れ、インバウンドの消費が世田谷の地域と経済の活性化に結びつくよう都政として効果の高い施策を的確に打ち出していきたいと考えています。こうした取組みこそ、世界の方々が観光を通じ、東京や世田谷を「最高」と言って頂くための大切な準備であると心得て、着実に進めていく所存です。

今年も皆様からの「信頼」を糧に全力を尽して参りますので、ご支援の程をよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって平成29年が幸多き年となりますようお祈りをして、年頭所感といたします。